インタビュー

他人の顔色におびえていた少女が、水素水で健康と笑顔あふれる世界をつくる

株式会社WILLJAPAN 鈴木裕子社長

水素水株式会社 取締役社長 鈴木裕子

愛知県尾張旭市出身 58歳。19歳で上京し、芸能事務所に所属。
その後25歳で名古屋に戻り結婚。第一子出産をきっかけに、他人の顔色ばかり気にする傷つきやすい人生が一転、「今を楽しむ」マインドへ。
複数の仕事を経て、2015年高濃度水素水サーバーを販売する水素水株式会社にチーフとして入社。
2022年に取締役社長に就任。笑顔と感謝をモットーに、自分たちらしい方法で世の中に健康と笑顔を届け続けている。

 

水素水サーバー

 

「私、32歳で病気になっちゃって…当時は起きるのも服を着るのもしんどくて。
そのときお水を飲んだらいいよって教えてもらって何種類も試しました。
劇的に体に変化があったのが、水素水だったんです。」

お水は私たちが生きていくうえで欠かせないものですが、

水道水でいいじゃん、という人もいれば、自分が納得できるお水に出会えるまで探し続ける人もいます。

本当に体にいいものを、必要としている人に届けたい。

 

こう話してくれたのは、社長の鈴木裕子さん。

オンライン取材で画面をつなぐと、太陽のような明るい笑顔で迎えてくれました。

 

水素水株式会社は、愛知県名古屋市に事務所をかまえています。

親会社である株式会社南鐵建は1971年創業、鉄骨建築物の加工や建設業がメインですが、別事業として9年前に高濃度水素水サーバーの販売をはじめました。

順調に導入先を増やし続けてきましたが、さらなる拡大のため営業職の募集です。

 

ご自身の生い立ちや人生観、今まで経験したお仕事や水素水との出会いなど、お話しを伺いました。

 

BOSS紹介

はじめまして、水素水株式会社の取締役社長の鈴木裕子です。

 

30代で病気を患ったことがきっかけで健康意識が高まり、お水の大切さに目覚めました。

何年もかけてたくさんのお水を試し、9年前にこの会社の高濃度水素水と出会いました。

じつは私、この会社の初期顧客の1人なんです。

 

そこからご縁を頂き入社させてもらうことになるのですが、どんな風に導かれ今があるのか、日々なにを大切にして仕事をしているのかなど、幼少期にまで遡ってお話しできたらと思います。

 

私はよく周りから「裕子ちゃんと会ってると元気になる!」と言われます。

本当にその通りなの、落ち込むことってあまりないんですよ。笑

笑顔でみんなに感謝してたら、人生も仕事もうまく回っていくのが分かってるから。

 

でも、昔からこう思えていたわけではないんです。

色んな経験をして必死に目の前のことを頑張っていたら、ちゃんと人は見ててくれる。

それがわかったので、クヨクヨしなくなったんです。

 

今回は営業職の募集ですが、

「やる気と元気」があればOK!学歴もスキルも経験も関係ありません。

 

私たちは水素水サーバーを売るのが仕事とは思ってません。

水素水を飲んだ人が”健康で笑顔になれる未来”を売っていると思っています。

 

自分がおすすめした商品でお客様の人生を豊かにしたい、健康と笑顔を増やしたいと思っている方に、

ぜひ最後まで読んで頂きたいです。

 

複雑な家庭環境で育ち、ガラスのハートだった少女時代

幼少期は大人の顔色ばかり伺って、いつもビクビクしている子どもでした。

 

父は風天の寅さんみたいな自由人で、母は生粋のお嬢様。

周囲の猛反対を押し切って結婚し、兄と私が生まれました。

 

母方の祖父は地元で有名な大会社の社長で、毎朝運転手付きの黒塗りのセンチュリーで出勤していました。

広いお庭に鯉がいて、洋服はすべてフルオーダーで仕立ててもらっていました。

 

株式会社WILLJAPAN社長の幼少期

 

 

祖父は父に、「会社を作ってあげるからまずは修行で本社に入りなさい」って言ったらしいのですが、

父は自由人だから縛られるのがイヤだったらしく、家に帰ってこなくなっちゃったんです。

母も夜は家に帰ってこなくなり、幼稚園の幼い兄弟2人だけで夜を過ごすこともありました。

 

ある日、父方の祖父母が私たちを迎えにきました。

私たちはどこか遊びに連れて行ってもらえると思って、ウキウキして車に乗ったんです。

 

そうしたら玄関に母がポツンと立ってて…

行ってきますの意味で、「バイバイ〜」って手を振ったんです。

それが母との最後になりました。

 

すごく寂しかったけど、幼ないながら母のことは聞いちゃいけないと思い、

結局、大きくなるまで一度も「お母さんは?」って聞きませんでした。

 

それから父が再婚して、新しいお母さんができました。

昔はすごくドジでのんびりした性格だったので、テキパキ動く義母となかなか折り合いがつかなくて。

家は、なんとも言えない居心地の悪さがありました。

どっか違う所に行っちゃいたいな、家に帰りたくないな、って思うことが多かった。

 

大人になってからは、母の大変さや母なりの愛情を注いでくれていたこともわかるようになり、

今は心から感謝しています。

 

スカウトされて東京へ

父は自由人だったけどすごく厳しくて、1分でも門限を過ぎたらありえないくらい怒られるんです。

放課後に友達と遊びにもいけなくて。

あまりにも厳しいから、高校2年生で吹っ切れちゃって。

どうせ怒られるなら1分過ぎても3時間過ぎてもいいや、ってなって。

 

遊び歩いて見つかっては父と大ケンカを繰り返して、

「お前なんか出てけ!」

「もう出ていく!」

ってなって、本当に高校を辞めて家を出たんです。

 

それから美容商社で働き出したのですが、すぐに芸能事務所にスカウトされました。

どうせここに居場所はないし…と思って東京に行くことにしました。

 

色んなお仕事をさせてもらいましたよ。時代はバブル全盛期の芸能界。

裏のドロドロした部分もたくさん見ちゃって。

 

鈴木裕子社長の東京時代

 

私はそういうのが苦手だったのと、自分が有名になりたいって思いはほとんどなくて。

ヘアメイクやスタイリストのお仕事にも興味があったから、裏方のお仕事もさせてもらったんです。

あとはね、毎日飲み歩いてた!社会勉強してたんですね〜!笑

キラキラした世界もショッキングなこともたくさん見たから、もう東京に悔いはないなって思って25歳で名古屋に戻りました。

 

そしたらすぐに(元)夫と付き合うことになって妊娠したんです。

 

出産が変えた価値観、脳内シェアハウス!?

うちはね、とにかくワンオペ育児でした。

夫は建設会社の社長で毎晩飲み歩いてゴルフ三昧、バブルだったし付き合いも多かったんです。

会社には住み込みの職人さんたちもいて、毎朝4時に起きて全員の朝ご飯とお弁当を作っていた時期もありました。

 

冬は寒くて大変だったけど、頑張ってるとちゃんと見ててくれる人がいてね。

最初はぶっきらぼうだった職人さんが黙って重いもの運ぶの手伝ってくれたり、

「姉さん、お茶の準備しておくよ」って手伝ってくれるようになって。

 

夫は接待でほとんど家にいなかったけど、困ったことがあれば職場の誰かが駆けつけてくれたので、

子どもたちは従業員のみんなが一緒に育ててくれたようなものです。

 

3年後に娘も生まれて、私の所にきてくれた天使は2人になりました。

2人が生まれてくれたから孤独を感じずに毎日を過ごせた気がします。

 

父と母に甘えられない幼少期を過ごしたからなのか昔から頼るのが苦手で、さみしいときもさみしいと言えませんでした。

 

大人になると、結婚してもさみしさは埋まらないってわかってくるから、自分の足でしっかり立って、責任をもって歩いていかなければって思うじゃないですか。

 

それでもね、やっぱり嬉しかったんです。

こんなに自分を愛して必要としてくれる子どもという存在が、これまでの価値観を根底から変えてしまったんです。

 

「この子たちはどうしたらもっと喜んでくれるかな」「笑顔になるかな」ばっかり考えていたら、

傷つきやすい自分の性格なんてどうでもよくなっちゃった!

そこから、だんだん強くなっていきました。

 

それなりに年齢を重ねてきたから、本気で怒ることはほとんどないけど、

それでもついイライラしたり、ちょっと棘のある言い方をしちゃうことってあるじゃない?

 

そんな時はね、別の人格が出てきたな〜って思って、過ぎ去るのを待つの。

そうしたらスーッといなくなってる。

 

私の脳内はシェアハウスか!ってくらい色んな人格が住んでて、

自分はそういう人だって理解してるから、ポジティブにいられるし、自分を責めなくなるの。

 

自分はシェアハウスの管理人って思ってればいいじゃない。

みんな色んな自分を持ってるから、喜怒哀楽があって人生が豊かになるのよね。

 

バブルがはじけ離婚

バブルがはじけて、建設業界はすごく厳しい時代になりました。

 

相当な赤字を抱えてしまい、このまま続けるのは難しいと判断せざるえない状況でした。

長く勤めてくれた職人さんたちの高齢化も進んでいたので、一旦事業に区切りをつけることにしました。

 

その頃、国が介護事業に力を入れ出したタイミングでした。

建設業の方が落ち着いたタイミングで、夫と私と行政書士さんと3人で介護事業を立ち上げたんです。

 

その事業は順調に進んだのですが、夫と私の価値観の違いが浮き彫りになってきた時期でした。

 

もともと仕事に対しても、生活や人付き合いについても考え方が正反対でした。

 

いま振り返ると、どっちが悪いってわけではないんですよ。

 

自分の描く理想像にお互い押し込もうとしていたようなもので、これを繰り返してたってきりがない。

育った環境が違うのだから、理想も違って当たり前なんですよね。

 

元夫がいたから子どもたちが私のもとにやってきてくれたわけだし、それに姑と出会えた。

この結婚のもう一つの意味は、姑と出会うためだったんじゃないかと思うんです。

 

すごくパワフルで、じつの娘以上に可愛がってくれました。

 

私、32歳で膠原病のリウマチを患って、当時は日常生活を送るのもしんどくて。

そうしたら「喫茶店行くよ」って、車に乗せて私を連れていくんですよ。

「うちの嫁、病気になちゃって」ってみんなに話しはじめて、恥ずかしいからやめてって言ったら、

「なに言ってるの!病気は自慢して歩けって言うんだよ!」って。

 

そうしたらね、リウマチにはこれがいいよ、◯◯病院の△△先生がいいよ、って情報がたくさん集まってくるんですよ。

 

「裕子ちゃん、黙ってても誰も教えてくれないよ。

病気のことを笑う人もいるかもしれないけど、そんなの気にしちゃダメ」って。

 

みずから情報を集めろってことを、教えてくれたんだと思っています。

 

仕事にも生き方にも通じる大切なことをたくさん教えてもらいました。

今でも悩むことがあると、「姑ならどうするかな?」って考えます。

 

結婚相談所でNo.1カウンセラー

離婚後は結婚相談所のカウンセラーに転職しました。

子どもを2人抱えていたのでお給料の高い仕事を探していたらこの仕事を紹介されました。

結婚のお世話をするのって楽しそうだなと思ったんです。

 

うまく異性と話せない子たちにアドバイスをして成婚へ導くのは、子育てと通ずるものがありました。

 

当時の結婚相談所には、親に強引に入会させられてる子たちもいました。

せっかく入会したなら幸せになってほしいし、自分の意志で動いて欲しくて。

私にファイルで頭を叩かれた子が何人もいました。笑

 

そんな感じでやってたらみんなすごく慕ってくれて、会社内ではいつも差し入れNo.1。

手作りのお弁当を差し入れてくれた子もいたくらい。

 

成績も過去最高の数字を叩き出して充実はしていたんですが、数年後には内装やインテリア関連の会社へ転職をしました。

 

結婚相談所は、何年も更新を続ける会員さんが一定数いるんです。

今まで異性とお付き合いしたことがないのにすぐに成婚は難しいので、カウンセラーがアドバイスしながらサポートしていくんですが、カウンセラーの仕事は成婚よりも契約を更新させることっていう風潮に少し違和感があって。

 

おまけに好奇心旺盛な性格だから、知り合いが内装とインテリアの会社を立ち上げるから、

「うちの会社の役員として手伝ってくれない?」って声をかけてもらったら、どうしてもやってみたくなって。

 

元夫が建設業で当時は会社も手伝っていたので、建設や内装の知識はあり、

インテリアも大好きだったので、ステップアップするぞー!って、すぐに転職を決めました。

 

高校中退がバネになる

その会社は、飲食店の内装や什器、椅子を中国の工場で制作していました。

中国で作って日本に輸入したほうが安くできるんです。

 

CADもほぼ自力で覚えて、シンプルな椅子やテーブルなら製図がひけるようになりました。

 

昔からできるだけ自分で仕事を進めて、調べてもわからない所だけ誰かに聞くほうでした。

教えてもらうまで解決しないのは時間がもったいないし、

人から丁寧に教わる環境にいなかったので自然とそうなっていったのですが。

 

まぁ、こう思うようになったのは、ちょっとした葛藤というか、後悔があったのかもしれません。

 

私、高校を中退しちゃったから。

資格でもなんでも、学歴がないと挑戦できないものってあるじゃないですか。

いざ社会に出てみると、学歴を持ってる方が強いなって感じたことが何度もあって。

 

でも、いまこうしてやっていけているわけだし、負けている所があったらそれを補うだけのパワーを身につけていけばいい。

 

負けず嫌いなの。笑

 

パワーだけはひと一倍ありますからね。

周りからはよく、私に会うと元気になるって言われます。

 

相談をされることも多いけど、私が誰かに相談することってあまりないかも。

 

悩んで朝まで眠れなかったこともありますよ。

たしかシングルマザーで生活が苦しくて…とかだったと思うんですけど、

細かいことは忘れちゃった!

 

どの道に進んでも辛いことや頑張らなければいけないことはある。

どっちを選んでも正解で、責任を持って進んでいくしかないから。

 

自分が認めたボスにしか従わない

そんな感じで仕事をしているので、コミュニケーションは外国人でもわりとうまくとれる方でした。

 

中国工場なので中国人とのコミュニケーションが必須ですが、日本人とはかなり感覚が違うんです。

無駄がキライというか、大陸的な考えなんですよね。

現地へ出向いて塗装の仕方やビスの打ち方など、細かな指示を出すこともありました。

 

私が行けないときは別のスタッフが行って指示をするんですが、私以外の人の言うことを全然聞かないって言うんですよ。

スタッフの説明の仕方が悪いだけじゃない?って思ってたけど違ったの。

 

彼らは、自分がボスと認めた人の言うことしか聞かないんだって。

あとになって聞いた話なんですけど。

 

仕事はいつも全力で誠意を持ってやってきたから、言葉や文化の壁を超えて伝わっていたのかもしれないですね。

 

水素水と出会う

そうそう、この会社にいるときに水素水と出会ったんです。

 

32歳で病気をしたときいいお水をたくさん飲むといいって聞いて、宅配水や色んなお水を何種類も試してたんです。

 

当時、「この水素水は水道直結型ですごくいいよ」って聞いて、飲み始めたら体調が良くなったんです。

水道直結型っていうのは、水道管に直接つなぐのでボトル交換の手間がいらないんです。

 

周りから「なんでそんな若いの?」「何やってるの?」って聞かれるので、「ここの水素水飲んでるよ」って紹介してたんです。

 

水素水サーバー自宅に設置

 

そうしたら今の会社のオーナーに、「うちの営業よりも紹介してくれてるこのお客さんは誰?会ってみたい」って言われて。

 

私はかなり初期からの顧客なんです。

そしたら仲良くなっちゃって、展示会のお手伝いもするようになって。

 

この頃は中国のレートが上がってきた時期で、内装会社の方は利益を出すのが難しくなってきていました。

会社のオーナーが変わることになり、そのタイミングで以前からお誘いを受けていた

水素水株式会社に入社することになりました。

 

仕事は居場所づくり

チーフとして入社させてもらったのですが、ここでも自分にできることを探して全力投球する日々がはじまります。

 

うちの会社はエクセルや数字管理苦手な人が多くて。

なのでエクセルで資料を作ったり、顧客資料を整理したりしました。

 

私はみんなに「会社は居場所作りだよ」って話します。

自分にしかできない仕事を見つけて、自分にできる最大限のことを全力でしていれば、自然とまわりから必要とされて居場所ができます。

 

株式会社WILL JAPANの事務所と倉庫

 

最初は言われたことを真剣にやっていくのでもいいと思います。

でも、どうすればもっと喜んでもらえるかを考えて、お客様から認められて、お給料が高くなっていって。

そのほうが楽しいじゃないですか。

 

クレームより有難いものはない

私ね、クレームが大好物なんですよ。

クレームがきたら私に回してねって言ってるんです。

 

怒ってくれる人って、すごく有難いですよね。

ほとんどの人は怒らずに、黙って去って行ってしまうから。

 

クレームをいただいたとき、

真摯に向き合って相手の立場にたって話していたら、なぜか仲良くなれるんです。

 

なにかあってもしっかり対応してくれるから安心だよって、さらにお客様を紹介してくれることもあります。

 

仕事をしていると色々なことが起こるけど、昨日と同じ今日は絶対に迎えることができないから、なにがあっても感謝を忘れない自分でありたいと思っています。

 

私たちが売っているのは「健康で笑顔になれる未来」

私たちの仕事は水素水を売ることではなく、お客様の「健康で笑顔になれる未来」を売ることだと思っています。

 

私は身をもって水素水の良さを知っているけど、目に見えないものなので怪しいと思われることもあります。

 

もちろん、エビデンスをとってお客様が安心できるようにする努力は欠かしません。

メンテナンス時に測定器で一緒に測って見てもらったり、個人で測れる溶液をお渡しすることもあります。

水素ガス注入方式を採用しているので水素濃度が高いことや、シリカでコラーゲン生成が促進され、

骨、髪、爪を強くしてくれる女性には特に嬉しい効果もたくさんあります。

 

なんのために水道水ではなく水素水を飲むのかっていうと、

やっぱり健康や美容のためなので、その未来を作るお手伝いができるのはすごくやりがいがあります。

 

最近は、個人宅、スポーツジム等店舗だけでなく、オフィスへの導入も増えています。

特にベンチャー企業の福利厚生で水素水を導入してほしいなと思っていて。

日本のほとんどは中小企業なので、日本が元気になるには、企業から元気にならないとって思っています。

 

こんな人と働きたい

水素水株式会社は、経験よりも「やる気と元気」を重視します。

最初はみんな素人。仕事はやりながら覚えていけばいい、というスタンスです。

 

今回は営業職の募集ですが「やる気と元気」があって、人と接することを楽しめるのであれば、営業未経験でも問題ありません。

 

仕事はやっていくうちに自信がついてくるものですが、その根底にあるのはやっぱりやる気だと思うので。

 

あとは、お客様と誠心誠意向き合う気持ち、かな。

 

私たちがおすすめしている高濃度水素水サーバーは、決して安いものではありません。

だからこそ、お客様が安心するまでしっかりとお話しをさせてもらうことも多いです。

大変なこともありますが、

営業はお客様から直接「ありがとう」の言葉をいただけるすばらしい仕事です。

 

「やる気と元気」があって楽しみながら仕事をしたい、という方にぜひ来てほしいです。

 

編集後記

取材の挨拶をすると、「よければ、ゆうこりんって呼んでください」とひとこと。

 

ゆうこりん、ですか?

 

なんかかわいいですね、では遠慮なく。

ということで、終始ゆうこりんとお呼びしながら取材をさせていただきました。

 

「自分なりに本気で頑張っていたら、ちゃんと見ててくれる人がいる。」

色々な人が手を差し伸べてくれたから今の自分がある、と何度もおっしゃっていました。

 

そんなゆうこりん(鈴木社長)は、

誰かの本気の頑張りを、絶対に見逃さない社長なのだと思います。

 

(編集・執筆:オオスミ浩子)

 


 

求人票

水素水株式会社

募集職種

営業

 

仕事内容

・導入先の新規開拓

・導入後のメンテナンス、フォロー業務

 

募集背景

新規で作成した高濃度水素水サーバー「PSJ」が、デザイン性に優れており、かつ効果も高いことから、ドラマや映画現場で利用されるなど、大きく注目を浴びています。展示会経由やショッピングサイトなどでもお問い合わせを多くいただいているので、導入先を新たに拡大していくための営業を募集しています。

 

求める人物像

・やる気と元気がある

・人とコミュニケーションをとるのが好き

・誠心誠意仕事の取り組む

・仕事を楽しみたい

 

雇用形態

正社員

 

勤務地・アクセス

愛知県名古屋市西区山木2-40

 

勤務時間

9:00〜18:00

 

給与

月給:28万円〜

※営業手当含む

 

休日・休暇

土日祝日

 

福利厚生・待遇

・マイカー通勤可能
・賞与年2回(8月・12月※昨年度実績約5ヶ月、平均4か月)
・交通費支給(当社規定による)
・住宅手当(会社から徒歩10分圏内に住まれる場合のみ、交通費の代わりに支給)
・退職金制度
・社会保険完備(雇用・労災・健康・厚生年金)
・社内研修制度(水素水や美容に関する教育)
・水素水が飲み放題!コーヒーマシンも完備

一緒に働くメンバー(配属組織)

代表、事務、営業、メンテナンスのスタッフとともに働きます。

その他にも、業務委託でメンテナンスの方や、パートナーセールスとも関わることがございます。

 

本ポジションの魅力

親会社が大手建設会社の安定経営で、職場の雰囲気はとてもアットホームです。

代表や営業スタッフと連携しながら、新規導入先へのアプローチからその後のサポートまで一貫して担当して頂きます。

従業員1人1人の成長と責任感を大切にしており、言われたことだけをやるのではなく、

どうすればもっとお客様が喜んでくださるのかの発想で仕事を進める、とてもやりがいのあるポジションです。

 

こちらの求人募集に興味がある方は、「CONTACT」よりご連絡ください。